夫の話題、小休止。
我が家は、子どもたちが小さい時に父親が無く亡くなっています。
息子は登校渋り&発達ショウガイと言われていました。
そして、今は、高齢の私の父のために、家族で神戸から九州の宮崎へ引っ越しました。
私は、学校で働けば収入的には安定するのに、それを手放し、フリースクールを始め、ほぼ無収入。
自宅として借りた借家は、フリースクールや民泊として開放。自分達が落ち着いて住む家はなく、父の家に居候しながら、父の生活を見守っています。私の個人の部屋はなく、今も冷暖房無しの台所や、半分物置場のような部屋で籠を机代わりにして、これを入力しています。
娘は、進学高校を止めて通信高校に転校。
私と息子、娘の3人で90歳の父の生活をサポートしています。言ってしまえば、うちの子どもたちは「ヤングケアラー」に当てはまるのかもしれません。
周囲の方々は、おじいちゃん、すごいですね!と言ってくださりほめてくださいます。もちろん、父の努力は認めます。すごい父です。
でも、それを支えているのは、家族です。
食事の用意や、掃除、片付けができない…いや、しない父のサポート。
書き出すとあれこれと「大変」なことがあったなあと思うのでした。
でも、私は「つらい」「不幸だ」「他の人がうらやましい」などと思うセンサーが鈍いようです。
何があっても、なんとなく一番最後の最後が楽天的で、どこか幸せやありがたさを感じているのです。この感覚は、自分でも不思議です。なので、ここまでの私の人生はとても恵まれています。
例え、夫が亡くなっても、小さい子ども二人連れた一人親でも、気に入って住んでいた家に住めなくなっても、自分の仕事部屋が無くなっても、それなりに楽しく、かなり幸せに過ごしています。
こんな人生もあるのね、と自分で自分の生き方に驚く私です。
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