19年も前のことです。
その頃、私も夫も小学校教諭でした。
夫は真面目が服を着て歩いているような人。
熱心な教員でした。
でも、やや昭和的な熱心さ、圧の強い指導の仕方で、保護者からの反発があり、来年もこの学年で…
と願っていた学年から外されました。その後、担任からも離れることに。
このころから、夫の様子がおかしくなり始めました。
まず、保護者を避けるようになりました。通勤路で、どんな保護者に合うかわからない、保護者に合うのが怖いからと、一駅手前で電車を降り、スクーターで裏道を通って職場へ。そのためのバイクも購入。
その時の私には理解できない選択でしたが、本人は必死。
その後、職場を異動。
保護者からのクレームはなくなりましたが、今度は同僚の先生と対立するようになり、めまいが始まりました。
メニエル病ではないかと、耳鼻科に行き、投薬を受けましたが、状態は改善せず。
その頃私は、里帰り出産で遠方に帰っており、3ヶ月ぶりくらいに自宅に戻ると、夫が病気になっていて、びっくり。という状況でした。
通院、投薬を続けても良くならず、休職へ。
私が育休中で家にいたこともあり、ゆっくり休養を…との配慮でした。
生まれたばかりの娘と、不調の夫と私、3人での生活でした。
気分転換ができるようにと、本人が好きなことをして過ごしていたようです。
新幹線に乗りに行遊び吉本新喜劇に行く、親戚の家に行く、旅行会社に旅の相談をしに行く、等々。
その頃の私には、休んでいるのに、遊びに行くん?と、理解しがたいこともたくさんありましたが、そんなものなのなかなあ、分からないなあ…という感じでした。
とても久しぶりに思い出す、生きていた頃の夫。
特にこの頃のことは、普段は全く思い出しません。
頭がぎしぎしと音を立てそうです。
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